【下京区】紫式部 摂関政治全盛期に宮仕え生活を送り、時代を映した源氏物語を描く

2017/01/15 01:04

紫式部が才能を開花させたのは、摂関政治全盛の時代

平安時代の中期、10世紀中盤から11世紀中盤の頃は、藤原氏の摂関政治が全盛期だった時代。あの有名な藤原道長が活躍したのももちろんこの時期です。摂関政治の時代には、自身の娘を天皇のきさきにし、生まれた男の子を天皇にして天皇を補佐する摂政や関白につくという方法で政治の実権を握っていきました。男性達が権力争いを繰り広げる中、藤原氏は娘を教育できる教養の高い女性を求め、女性達は宮中でさらにその能力を高めていきました。こうした中で女性の使う文字としてかな文字が発達し、かな文字で書かれた文学が生まれていきます。この時代に生まれた紫式部は、宮中で藤原道長の娘・彰子に仕え、女流文学者としてその才能を開花させていきました。

清少納言が使えた定子、紫式部が仕えた彰子 どちらも一条天皇の中宮になるという複雑な政治背景

平安時代の女流文学者といえば紫式部に並んで有名な清少納言。清少納言と紫式部はとても近い環境にありました。
清少納言が仕えたのは、藤原道隆の娘の定子。多くの貴族が自分の娘を天皇のきさきにしようとする中、一条天皇のきさきとなった定子はきさき達の中でも位の高い中宮となりました。清少納言は宮仕えのかたわらに、枕草子を執筆しています。しかしその後、藤原道隆が病死し、定子の兄の藤原伊周も事件を起こして流罪となってしまいます。
その頃、藤原道隆の弟である藤原道長が政治勢力を伸ばしていき、道長の娘の彰子が一条天皇のきさきとなりました。そして定子は中宮から皇后となり、彰子が一条天皇の中宮となります。権力を持った藤原道長は中宮彰子にたくさんの女性をつけ、紫式部もその一人として宮仕えの生活を送っていきました。紫式部は宮廷生活の中で長編小説「源氏物語」を執筆していきます。

源氏物語によって、摂関政治の時代の華やかさを描き出す

紫式部は、源氏物語を通して、この摂関政治時代の華やかさを描きながら、光源氏を中心とした人間の運命のはかなさを感じさせるもののあはれを表現しました。源氏物語は王朝文学の名作とされ、現在も世界中の人々に愛されています。全54帖という長編小説で、44帖は光源氏の物語、10帖は光源氏の息子である薫大将の物語となっています。
光源氏をめぐる女性では、桐壺更衣、藤壺、紫上、明石上、夕顔、六条御息所、末摘花などが有名です。
なお、源氏物語は世界最古の恋愛小説と言われていますが、宮廷の風習・風俗や政治に関する権力構造、仏教の教え、男性社会への批判など様々は要素が描かれています。
源氏物語はフィクションであるにも関わらず、現在の京都の宇治には、源氏物語の最後の十帖にちなんだ古蹟が点在しています。これらは江戸時代の好事家たちが定めたものだとされています。
また京都市下京区にある「風俗博物館」では、源氏物語の登場人物が立体で展示されており、源氏物語の世界を体験することができます。

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風俗博物館
京都府京都市下京区新花屋町通堀川東入ル 井筒ビル5F
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