【京都駅周辺】空海と重ねて見る東寺 密教芸術の傑作・立体曼荼羅に注目

2017/01/14 00:40

東寺と空海

新幹線からも見える東寺の五重塔は京都のシンボルで、東寺は世界文化遺産にも登録されています。そんな東寺の起源は、平安時代に遡ります。桓武天皇が平安京に遷都し、国営の寺院として都の中に建てられたのが東寺と西寺でした。東寺は建設途中の段階で、唐から新仏教(密教)を持ち帰った空海に与えられます。空海は東寺を真言密教の根本道場とし、名前を教王護国寺と改めました。なお空海は東寺の造立に際し、御影堂の場所に住房を構え、立体曼荼羅を構想しました。東寺の御影堂では現在も空海がいた時と同じように法要が行われています。
その後西寺は廃れましたが東寺は平安京に建立されたのとほぼ同じ場所に位置しており、東寺は現代に残る平安京の唯一の遺構としても知られています。
また空海の時代は密教が影響を与えた密教芸術が発展しました。東寺は密教芸術の宝庫と言われており、中でも21体の仏像で密教の教えを視覚的に表した羯磨曼荼羅(いわゆる立体曼荼羅)は迫力の作品です。
空海は唐で密教を学んだ実力はもちろん、語学や書の上手さでも知られており、後の世の人まで広く親しまれている人物です。死後に朝廷から与えられた弘法大師というおくり名を与えられ、毎月空海の命日に行われる弘法市には数万人の人が訪れ賑わっています。

空海の生涯

讃岐の国に生まれた空海は、18歳で大学に入ったのち、出家し修行の旅に出ます。様々な地で修行を重ねた後、久米寺の東塔に納められていた密教の大日教(大日如来の経典)と出会いました。大日教の教えを深めるために、804年に私費の留学生として遣唐使に乗って唐に渡ります。唐では恵果から密教を学び、806年に膨大な経典や仏画とともに日本へ帰国し、真言宗を開いて密教を広めていきました。その後、816年に嵯峨天皇(桓武天皇・平城天皇の後に即位)から高野山を賜って金剛峰寺を建てました。さらに823年には嵯峨天皇から平安京の東寺を与えられ、寺の名を教王護国寺と改め、真言密教の根本道場としました。
835年に空海は高野山でなくなりました。死後には朝廷から弘法大師のおくり名を与えられています。
空海は新仏教を持ち帰り広めたという功績入ったもちろん、外国語に堪能で書の名人としても知られ、その後も多くの人々に慕われています。

空海が嵯峨天皇から東寺を与えられた背景

桓武天皇が平安京に遷都した頃は、律令政治が乱れ、寺院などの旧勢力の存在も課題でした。旧仏教勢力の政治介入を怖れた桓武天皇は、平安京遷都の際に平城京の寺院を移さず、国営の寺院として東寺・西寺を建て、平安京内に私寺を造ることを禁止しました。こうした動きの中で出てきたのが、最澄と空海です。
前述の通り、最澄・空海は平安時代に遣唐使に従って唐に渡り、密教の様々な経典や法具を持ち帰るなどして、新しい仏教(密教)を日本に広めました。桓武天皇は、新しい仏教を持ち帰った最澄・空海らを庇護し、その後嵯峨天皇は建設中の東寺を空海に与えました。空海は寺の名を教王護国寺に改め、東寺(教王護国寺)は日本で初めての密教寺院となりました。

密教と密教芸術とはどのようなものか

密教は、仏教の考え方の一つで、激しい修行を行った者しか理解できない奥深い内容です。密教では、宇宙の中心は大日如来であると考えられています。大日如来を中心とした仏の世界を描いた曼荼羅をかけ、壇を作って呪文を唱え、護摩を焚き、加持祈祷を行いました。空海は密教で用いる法具も唐から持ち帰っています。
また密教は建築・彫刻・絵画などにも影響を与え、密教芸術と呼ばれています。密教は山林修行を中心とすることから、寺院では山の地形に合わせて自由な配置で堂塔が建てられました。仏像は修行者が作った木彫りのものが増え、絵画にも影響を与え神秘的な芸術作品が生まれました。

講堂の21体の立体曼荼羅は圧巻の迫力

講堂は東寺の寺域の中心に建てられており、空海が密教を伝えるための中心的な建物として位置づけたとされています。
その講堂の中に、空海の手による羯磨曼荼羅、いわゆる立体曼荼羅が安置されています。曼荼羅は大日如来が中心に描かれ密教の世界観を示したものですが、空海はこの曼荼羅をよりリアルに表現するために立体曼荼羅を構想しました。東寺の中心に大日如来を置き、21体の仏像を配置することで、東寺の中により具体的な密教の世界を表現したのです。
立体曼荼羅の21体の仏像は以下になっています。
・大日如来を中心に、五智如来
・大日如来に対して右側に、金剛波羅蜜多菩薩を中心とした五大菩薩
・大日如来に対して左側に、不動明王を中心とした五大明王
・四方には四天王、梵天、帝釈天

御影堂では空海が住んでいた頃と同じ生身供に参加できる

境内の北西にある御影堂は東寺造立の際に空海が住んでいた場所で、ここで空海は立体曼荼羅を構想し、造立工事の指揮をとりました。御影堂では現在も空海がいた頃と同様に、一の膳・二の膳・お茶をお供えする生身供を行なっています。この法要には誰でも参加することが可能です。また北側の前堂には弘法大師坐像(国宝)が安置されています。

京都のシンボル・五重塔も、初代は空海が建立

京都のシンボルとして知られる東寺の五重塔(国宝)は、木造の建物では日本一の高さ(55メートル)となっています。この五重塔も、初代は空海が建立したものです。空海は東寺の講堂を建てた後に、五重塔の大工事に着手し、朝廷に材木運搬の依頼を行なったという記録も残っています。
なおその後五重塔は落雷などで4度消失し、現在の五重塔は江戸時代に徳川家光が再建した5代目となっています。

空海の命日に行われる弘法市は、数万人で賑わう

空海(弘法大師)を偲んで、東寺の御影堂では空海の命日である21日に御影供(みえいく)という法要が行われています。この法要に多くの参拝者が集まり、参拝者向けの茶屋が店を開くようになりました。そして現在では1000店以上の日用品・骨董品・名産品などの露店が境内に開かれ、弘法市として人々に親しまれています。弘法市は京都でも最大規模の縁日で、何万人もの人が訪れ、大変な賑わいをみせる市になっています。

東寺の基本情報

東寺(教王護国寺)
京都府京都市南区九条街一番地
http://www.toji.or.jp/

【おまけ】京都人が教える、東寺観光の際のアドバイス

東寺は京都駅の近くにあり、京都駅から歩いていくこともできます。しかし周辺には観光スポットが少なく、いわゆる観光エリアとは京都駅を挟んで逆側なので、わざわざ東寺に足を運ぶイメージになることは知っておいた方が良いでしょう。遠くから五重塔を見て京都らしい風景を楽しむだけでも良いですが、ぜひ世界遺産の建物に足を運んで、講堂の立体曼荼羅の迫力を味わってもらえればと思います。

この記事のプレース
東寺(教王護国寺)
京都府京都市南区九条町1番地
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